第二のローマ(読み)だいにのろーま

世界大百科事典(旧版)内の第二のローマの言及

【ローマ理念】より

…しかし,アウグスティヌスによって地上のローマ帝国の呪縛から切り離されたことにより,教皇レオ1世のローマ司教座の優位権主張を経て,理念としてのローマは西ローマ帝国滅亡後も延命しえたといえよう。
[西ローマ滅亡以後のローマ理念]
 330年ローマ帝国の新首都となったコンスタンティノープルは,〈第二のローマ〉〈新しいローマ〉と呼ばれた。西ローマ帝国が存続している間は古いローマの権威が優先していたが,西の帝国消滅後は新ローマの支配は全世界に及び,永遠のものだと歌われた。…

※「第二のローマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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