世界大百科事典(旧版)内の第二帝政式の言及
【ネオ・バロック様式】より
…フランスでナポレオン3世の第二帝政の出現(1852)とそのパリ改造計画(1853‐70)を契機として起こったバロック建築様式の復興をいう。ビスコンティLudovico Visconti(1791‐1853)とルフュエルHector M.Lefuel(1810‐81)は,ルーブル宮殿新館でイタリア・バロック風の彫塑的な壁面とマンサード屋根を組み合わせ,これは,いわゆる〈第二帝政式〉として流行した。また,C.ガルニエのオペラ座(1861‐74)はその豪華壮麗さで世界を驚かせ,当時帝国主義的競争の渦中にあった先進諸国は,ネオ・バロック様式こそ国家の威信を最もよく表現する建築様式とみなして,いっせいに採用するようになった。…
※「第二帝政式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」