世界大百科事典(旧版)内の第1次護憲運動の言及
【護憲運動】より
…2月には数万にのぼる国民大会が東京の両国国技館や日比谷で開かれ,10日の議会での内閣弾劾決議案が否決されると,激高した民衆は議院正門を破壊,御用新聞社を包囲するなど騒擾状態となり,結局3月には山本内閣は辞職した。これらの第1次護憲運動は絶対主義的政治勢力に打撃を与えた民主主義運動であった。
[第2次]
第1次護憲運動の後,大隈重信内閣の成立,第1次世界大戦と政界は一時期反動期を迎えるが,この間にも民衆勢力は着実に成長していった。…
※「第1次護憲運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」