世界大百科事典(旧版)内の第1次パリ条約の言及
【対仏大同盟】より
…第5次は,09年にイギリス,オーストリアの間で結ばれたが,オーストリアとのシェーンブルン条約(1809)によって解消した。第6次は,ナポレオンのロシア遠征の失敗ののち,13年にイギリス,ロシア,プロイセン,オーストリア,スウェーデンなどの間で結ばれ,ナポレオンの退位と第1次パリ条約(1814)によって解消した。第7次は,ナポレオンのパリ帰還(百日天下)に対して15年にイギリス,ロシア,プロイセン,オーストリアなどの間で結ばれ,ナポレオンの退位と第2次パリ条約(1815)によって解消した。…
【パリ条約】より
…(3)1814年5月30日,ナポレオンの敗北に伴い,ルイ18世治下のフランス政府と対仏大同盟諸国の間に結ばれた条約。第1次パリ条約。同盟諸国はフランスのブルボン王朝の強化を望み,条件を寛大なものにした。…
※「第1次パリ条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」