世界大百科事典(旧版)内の第1次ビルマ戦争の言及
【バジードー】より
…インド総督もビルマに宣戦布告し,軍隊を海路ビルマ領内に派遣した。この第1次ビルマ戦争は26年2月ビルマ側の敗北で終わり,ビルマはヤンダボー村で調印された講和条約に基づき,賠償金1000万ルピーを支払い,カチャール,ジャインティアの宗主権を放棄,アラカン,テナッセリム両地方をイギリスに割譲した。敗戦の衝撃もあって王は精神錯乱を起こし,37年弟ターヤーワディ侯に譲位した。…
【ビルマ戦争】より
…19世紀に3回にわたって戦われたイギリスのビルマ侵略戦争。(1)第1次ビルマ戦争(1824‐26) ビルマのコンバウン朝はボードーパヤー,バジードー王のとき,西方のアッサム,アラカンを征服するとともにマニプルに侵入し,カチャルをも脅かした。マラーター戦争を終えたイギリスはベンガル防衛のためカチャルを保護国とし,1824年ビルマに宣戦布告した。…
※「第1次ビルマ戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」