第1次三頭政治(読み)だいいちじさんとうせいじ

世界大百科事典(旧版)内の第1次三頭政治の言及

【三頭政治】より

…帝政成立前夜のローマで,有力将軍が連携して元老院を制肘(せいちゆう)し共和政体を空洞化させてゆく際の特徴的政治形態。前43年アントニウス,オクタウィアヌス(アウグストゥス),レピドゥスの三者が民会決議で〈国家再建のための三人委員〉となり,全権を掌握した事態を第2次三頭政治と呼び,前60年ポンペイウスカエサルクラッススが私的盟約により国政を牛耳ったのを,〈三人委員〉との類似から第1次三頭政治と呼ぶ。(1)第1次三頭政治 東方遠征から帰還したポンペイウスは退役兵への土地配分等の課題達成のため,前59年のコンスルのカエサル,その後援者クラッススと密約し,彼の勢力を警戒する元老院門閥の妨害を封じた。…

【ローマ】より

…この間にガリア・キサルピナ,ビテュニア,キリキア,クレタ,キュレネが相次いでローマの属州として組織されるとともに,前64年シリアもポンペイウスによって属州とされ,アルメニア,アラビアの一部までローマの勢力下に入れられた。 カエサルは初めポンペイウス,クラッススと私的な政治的同盟(第1次三頭政治。前60)を結び,それに基づいて前58年より前50年までガリアに滞在し,そこのケルト人諸族を鎮圧してこれを属州とし,ライン川,イギリス海峡までローマの支配領を拡大した。…

※「第1次三頭政治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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