世界大百科事典(旧版)内の第2次ウィーン楽派の言及
【ウィーン楽派】より
…ウィーンで活躍した作曲家の総称。(1)狭義にはおよそ1730‐80年の前古典派の時代を指すが,盛期古典派(ウィーン古典派とも呼び,下限は1830年ころ)を含める場合もある。(2)1903‐11年の〈新ウィーン楽派〉を指す。 〈ウィーン楽派〉という呼称はすでに1780年代中ごろの文献に認められるが,音楽史上の様式概念として確立されたのは20世紀初頭のオーストリア音楽学者によってである。マンハイム楽派やベルリン楽派などと並んで,ドイツ圏の前古典派を形成する重要な一派である。…
【現代音楽】より
…またドイツの作曲家たちも,ヒンデミットを代表として,簡潔明瞭な音楽を目ざす〈新即物主義〉〈実用音楽〉などを主張した。第1期に〈表現主義〉の作風をとっていたシェーンベルク,ベルク,ウェーベルンらの第2次ウィーン楽派の作曲家たちは,1921年にシェーンベルクの創案した〈十二音技法〉による作曲を行い,数理的な秩序をもつ作品を数多く作曲した。第1期に〈民族主義〉の方向を打ち出したバルトークも,古典的な形式感による音楽を書いた。…
【表現主義】より
…しかし誤解されていた詩人を評価し直し,埋もれていた作家を発掘するという作業は容易なものではなく,波状的に到来する表現主義ブームに乗って少しずつ進められているが,まだ全貌を把握できる段階に達していない。【神品 芳夫】
[音楽]
音楽上の表現主義は第2次ウィーン楽派と呼ばれるシェーンベルク,ベルク,ウェーベルンを中心としている。その中心はシェーンベルクで,とくに彼はカンディンスキーらの〈ブラウエ・ライター〉に参加していた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」