管志道(読み)かんしどう

世界大百科事典(旧版)内の管志道の言及

【管東溟】より

…中国,明末の思想家。名は志道,字は登之,東溟は号。蘇州府太倉州(江蘇省太倉県)の人。隆慶5年(1571)の進士。王学左派の耿定向(天台。1524‐96)に師事したが,李贄(りし)などの王学左派は人倫を破壊するものであるとの危機感に促されて彼らを激しく非難した。他方,朱子学の単純な蘇生にも反対して東林党の顧憲成・高樊竜とも論争した。彼は両学を止揚するに仏教の無を中核にすえ,伝統的倫理観を強固に保守する壮大な体系を樹立した。…

※「管志道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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