籌安六君子(読み)ちゅうあんろくくんし

世界大百科事典(旧版)内の籌安六君子の言及

【劉師培】より

…11年四川の資州で端方が部下に殺された後,成都に逃れ四川国学院に奉職。辛亥革命ののちは太原で閻錫山(えんしやくざん)の顧問を務めたり,籌安(ちゆうあん)六君子(ほかに楊度,厳復,孫毓筠(そんいくいん),胡瑛,李燮和(りしようわ))の一人として袁世凱の帝制を擁護したりして初期の革命家のおもかげはない。17年蔡元培によって北京大学教授に招聘されたのち,五・四の新文化運動に対抗して《国故月刊》を創刊したが,まもなく没した。…

※「籌安六君子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む