《粉河寺大率都婆建立縁起》(読み)こがわでらおおそとばこんりゅうえんぎ

世界大百科事典(旧版)内の《粉河寺大率都婆建立縁起》の言及

【粉河寺縁起】より

…火災によって巻頭部分を失い,巻の上下もいたみがはげしい。この説話自体は,はやく1054年(天喜2)の《粉河寺大率都婆建立縁起》の前半に収載されており,それを参照すれば,前段は,宝亀年中(770‐781)紀伊国那賀郡に住む猟師が,山中に光明の輝く所のあるのを見て奇異に思い,柴の庵を建て仏像を造りたいと念じていると,童行者が訪れて,7日の間庵に閉じこもり千手観音像を造ってそのまま姿を消したという同寺草創の話。後半は,河内国の長者の娘が重病に悩んでいるところへ童行者が現れ,枕元で祈りをささげると7日目の朝に娘の病は平癒した。…

※「《粉河寺大率都婆建立縁起》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む