粉河荘(読み)こかわのしょう

世界大百科事典(旧版)内の粉河荘の言及

【名手荘】より

…その後1107年(嘉承2)高野山の大塔仏聖料にあてる荘園として立券され,以後中世末にいたるまで高野山領として存続した。紀ノ川の北岸に位置し,東は桛田(かせだ)荘と静川荘に,西は粉河(こかわ)荘に接する。早くから村名がみられ,中世を通じて野上村,馬宿(うまやど)村,西村,中村,江川村の5村で構成されていた。…

※「粉河荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」