粋狂連(読み)すいきょうれん

世界大百科事典(旧版)内の粋狂連の言及

【三題噺】より

…文久年間(1861‐64)には大いに流行し,多くの愛好家グループが生まれた。なかでも狂言作者の2世河竹新七(のちの河竹黙阿弥),戯作者の仮名垣魯文,初代三遊亭円朝らが加わった〈粋狂連〉は名高く,今日に伝わる作品を残した。三遊亭円朝作という《芝浜革財布(しばはまのかわざいふ)》《鰍沢(かじかざわ)》《大仏餅》などは,こうした三題噺愛好の時勢のなかから生まれた名作である。…

【三遊亭円朝】より

…文久年間(1861‐64)から山々亭有人(ありんど)(条野採菊(さいぎく)。1832‐1901),仮名垣魯文などの戯作者,3世瀬川如皐(じよこう),2世河竹新七(河竹黙阿弥)などの狂言作者をはじめとする文人たちが〈粋狂連〉というグループをつくって三題噺を自作自演して流行させていたが,これに参加して落語の題材や演出法など多くのものを学んだ円朝は,落語界に新風を起こし,その地位を確立していった。1872年(明治5),新時勢にかんがみ,道具入り噺の道具を弟子円楽にゆずって3代三遊亭円生を襲名させ,みずからは扇子一本の素噺(すばなし)に転じた。…

【落語】より


[幕末の江戸落語]
 1842年(天保13)の改革策によって,寄席の数もそれ以前の120余軒から15軒に制限されて衰微した江戸落語界も,改革の中心人物水野忠邦の失脚によって制限が撤廃されるとしだいに復興し,人情噺,芝居噺が流行したが,さらに三題噺の復活から隆盛に向かった。〈粋狂連(すいきようれん)〉〈興笑連(きようしようれん)〉などの三題噺のグループが生まれ,狂言作者の瀬川如皐(じよこう),河竹新七(のちの河竹黙阿弥(もくあみ)),戯作者の山々亭有人(さんさんていありんど),仮名垣魯文(かながきろぶん),絵師の一恵斎芳幾(いつけいさいよしいく)などに,金座役人高野酔桜軒(すいおうけん),大伝馬町の豪商勝田某(春の舎(や)幾久)などをはじめとする江戸の文人や通人,落語家の初代春風亭柳枝(しゆんぷうていりゆうし),3代柳亭左楽(りゆうていさらく)(?‐1872),初代三遊亭円朝などが参加して,三題噺の自作自演に熱中した。このグループ活動を契機として,幕末から明治にかけての東京落語界の中心人物になる円朝が成長したことは意義深かった。…

※「粋狂連」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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