朝日日本歴史人物事典 「紀二位」の解説
紀二位
生年:生年不詳
平安末期の貴族。後白河天皇乳母。紀伊守藤原兼永の娘朝子。紀伊二位,紀の御ともいう。博学宏才で世に聞こえ平治の乱(1159)で殺された藤原通憲(信西)の妻。待賢門院に仕え,大治2(1127)年その皇子雅仁親王(のちの後白河天皇)の乳母のひとりに選ばれた。古来乳母と養君との関係は極めて深く,朝子も生母のごとく重んじられた。加えて夫信西の権勢が盛んになるに従い,朝子の地位も上がり,保元2(1157)年には後白河天皇の即位儀礼で八十島祭使を務め,平治1(1159)年二位に叙せられた。没後もなお後白河院の追慕を受け,忌日には院自ら供養に出向くほどであり,さらに朝子の発願である清浄光院が焼失したときも直ちに院の沙汰で再建されている。また,信西との間に成範,脩範,勝賢らをもうけているが,いずれも院に重用されている。『愚管抄』『今鏡』などによれば,朝子は非常に小柄で,賢明な女性であったという。
(木村真美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報