世界大百科事典(旧版)内の純粋小説論の言及
【純文学】より
…この読者層に呼応するかたちで私(わたくし)小説が書かれ,それが大正,昭和前期の文壇小説の主流をなした。こうしたせまい純文学の流れに拮抗して,横光利一は〈純文学にして通俗小説〉を提唱し,それまでの純文学が排していた偶然性を重視し,物語的伝統と近代小説の知的高度さを併合させようとして〈純粋小説論〉(1935)を展開した。また,昭和初期のプロレタリア文学の台頭は芸術の大衆化の問題を提起するとともに,身辺雑記的な私小説を超える社会意識,階級的自覚を作家に要求するものであったため〈純文学〉の理念はこの面からも時代の波にさらされることになった。…
【横光利一】より
…ついで《紋章》(1934),《家族会議》(1935)などには日本回帰の作風があらわれた。この間に〈純文学にして通俗小説〉を提唱した《純粋小説論》(1935)が文壇で大きな反響を呼んだ。36年,渡欧。…
※「純粋小説論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」