細奴邏(読み)さいどら

世界大百科事典(旧版)内の細奴邏の言及

【南詔】より

…南詔の歴代系譜には,親の名の末字を子の名の頭字につける,チベット・ビルマ語族に特有な父子連名制がみられる。南詔は,細奴邏(?‐674)なる者がでて強大となり,649年ごろには大蒙国と号し,唐に入朝して巍州刺史に任じられた。これ以後,唐の雲南経営に協力しつつ勢力を強め,第4代の皮羅閣(?‐748)のときに他の5詔国を併せ,さらに白蛮を破って雲南を統一し,738年(開元26)には唐の玄宗から雲南王に封ぜられ,都を巍山から大理の太和城(雲南省大理市太和村)に移した。…

※「細奴邏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

半夏生の用語解説を読む