細川ガラシア(読み)ほそかわ・がらしあ

朝日日本歴史人物事典 「細川ガラシア」の解説

細川ガラシア

没年:慶長5.7.17(1600.8.25)
生年:永禄6(1563)
安土桃山時代のキリシタン明智光秀次女,細川忠興の妻,本名玉子本能寺の変(1582)で忠興は光秀に応ぜず,玉子を味土野(京都府竹野郡弥栄町)の山中幽閉。2年後忠興の元に帰った。次第にキリシタンに心引かれ忠興の九州出兵中の天正15(1587)年,復活祭の祝日に侍女清原マリアの導きによって受洗,ガラシアは霊名。妻の受洗に忠興は激高,棄教を迫ったが,遂に信仰を黙認した。慶長5(1600)年,忠興が家康に従って上杉征討出陣ののち,石田三成方の人質要求を拒否,家老の小笠原小斎に自らを討たせ細川家の面目を保った。忠興はキリスト教式葬儀を行いその死を悼んだ。<参考文献>H.ホイヴェルス『細川ガラシア夫人』,片岡弥吉『信仰に輝く日本婦人達』

(片岡千鶴子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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