細川ガラシャ(読み)ほそかわがらしゃ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「細川ガラシャ」の意味・わかりやすい解説

細川ガラシャ
ほそかわがらしゃ
(1563―1600)

細川忠興(ただおき)の夫人。キリシタン婦人としても著名。ガラシャは教名で、本名は「玉(たま)」。明智光秀(あけちみつひで)の娘で、織田信長のとりなしによって、細川藤孝(ふじたか)(幽斎(ゆうさい))の嫡男与一郎(よいちろう)忠興に嫁した。丹後(たんご)(京都府)の宮津で過ごす間、聡明(そうめい)な玉は禅宗について学ぶところがあったが、本能寺の変(1582)が起こり、反逆人の娘として丹後の味土野(みとの)に幽閉された。やがて大坂の細川邸に戻ることを許されたが、そこで夫の忠興からキリシタン宗門について間接的に教わるところがあり、心をひかれる。ついで1587年(天正15)、忠興が九州征伐に従軍のため不在の間に大坂の教会を訪れ、また侍女を通じて教理を学び続け、ガラシャの教名で侍女から受洗した。その後、邸内でキリシタンの信仰を深めたが、1600年(慶長5)関ヶ原の戦いにおいて夫忠興は徳川方についたので、ガラシャは豊臣(とよとみ)方より人質として大坂入城を強要され、大坂玉造(たまつくり)の細川邸において石田勢に囲まれる間、家臣の手で自らの命を絶った(7月16日)。

[松田毅一 2018年3月19日]

『ヘルマン・ホイヴェルス著『細川ガラシア夫人』(1966・春秋社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「細川ガラシャ」の意味・わかりやすい解説

細川ガラシャ
ほそかわガラシャ

[生]永禄6(1563)
[没]慶長5(1600).7.17. 大坂
安土桃山時代の武将明智光秀の次女細川忠興の妻。本名は玉。諡号は秀光院。天正7 (1579) 年織田信長の命令によって結婚。忠隆,興秋,忠利の3子を生んだ。同 10年父光秀が信長を本能寺で殺害した際,忠興に離縁されたが,変後徳川家康のとりなしで復縁。同 15年高山右近の影響でキリスト教の洗礼を受け,ガラシャの教名を得た。その篤信は有名。慶長5 (1600) 年の関ヶ原の戦いに際して,石田三成らが豊臣氏恩顧の大名の人質をとろうとして大坂城に入ることを強要したが従わず,屋敷を軍勢に包囲され命を絶った。

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