細川京兆家(読み)ほそかわけいちょうけ

世界大百科事典(旧版)内の細川京兆家の言及

【土佐国】より

…なお,その後足利氏の内訌,観応の擾乱(かんのうのじようらん)のときの土佐の守護は尊氏・高師直(こうのもろなお)派の高定信であり,直義(ただよし)党の細川顕氏は定信方の高岡荘松風城を没落させており,52年(正平7∥文和1)9月には,顕氏の跡を継いだ繁氏が讃岐とともに土佐の守護として所見する。繁氏の死後の守護は細川頼之,ついで頼元,満元,頼長,持之と続くが,頼長は応永の乱後の一時的処置であり,頼之以降,土佐は讃岐,摂津,丹波とともに管領細川京兆家(けいちようけ)の分国となって戦国期に及ぶ。なお,守護代は〈細川角田系図〉によって,78年(天授4∥永和4)細川庶流遠江守頼益が入国,田村荘に居館を置き,以後,満益,持益,勝益,政益と続くとするのが通説であるが,この説には疑点が多い。…

※「細川京兆家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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