経営民主化(読み)けいえいみんしゅか

世界大百科事典(旧版)内の経営民主化の言及

【産業民主主義】より

…そのなかで賀川豊彦らの指導のもとで団体交渉権と工場委員会制の獲得を目ざす運動が,欧米の産業民主主義思想を導入しながら進められたが,1921年(大正10)の三菱神戸・川崎造船所争議の敗北によって終息した。第2次大戦後の労働組合運動は,〈経営民主化〉をスローガンとして経営に対する労働者の発言権を飛躍的に拡大し,産業民主主義の運動目標をほとんど実現したが,経済再建過程で経営権が復活すると大幅に後退した。しかし,日本では欧米に比して使用者・従業員間および職員・労務者間の区分が流動的であり,労使関係においても企業別組合の特質によって経営者からの情報提供や協議の機会が多く,実質的には産業民主主義的運営が相当に進んでいるとみることができる。…

【労働運動】より

… 戦後の労働運動は,敗戦から今日にいたるまで企業別組合をベースにして展開してきたにもかかわらず,時代によって運動の様相は転変してきた。やや大きな区切り方をすれば,(第1期)急激な組織化をてことする〈経営民主化〉運動の進展をみたのち,二・一ストの挫折を契機として運動の分裂・後退をみるにいたった時期(1945‐50),(第2期)サンフランシスコ体制の形成のもとで労働組合が再生しはじめ,春闘体制の形成をみた時期(1951‐60),(第3期)春闘体制の全面化にもかかわらず,民間大企業における能力主義管理のもとで,職場の労働運動が活力を失っていった時期(1961‐74),(第4期)石油危機のもとで〈管理春闘〉化が進展するなかで,民間大企業労働組合を軸とする戦線統一運動の進展をみるようになった時期(1975‐89),(第5期)新しいナショナルセンターとしての連合の成立をみ,〈総合生活闘争〉が進められるようになった時期(1989‐ ),およそ以上五つの時期に分けることができよう。
[第1期(1945‐50)]
 (1)日本は1945年8月,敗戦によってアメリカの占領下におかれることになったが,占領軍によって〈非軍事化・民主化〉政策が推進され,その一環として同年12月には労働者の団結権を日本の歴史上はじめて公然と認めた労働組合法が制定されるという状況のもとで,45年の秋以降,労働組合の結成が急激に進展し,争議も頻発するようになった。…

※「経営民主化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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