統一労組懇(読み)とういつろうそこん

世界大百科事典(旧版)内の統一労組懇の言及

【連合】より

…これにともない,従来のナショナルセンターのうち,同盟中立労連は解散し,新産別も1年後の解散を決定した。民間連合は88年2月から官民統一をめざして,総評の中心である官公労,旧同盟系の友愛会議全官公との首脳会談を開始し,89年6月までに(1)民間連合の基本文書〈進路と役割〉の尊重,(2)国際自由労連加盟,(3)民間連合に反対する統一労組懇には毅然たる態度をとる,の3重要事項などで合意をみた。これにより民間連合と官公労の統一が決定したが,総評系の自治労・日教組などでは反主流派がこの統一に反対して分裂,これらは反連合の全労連に参加することとなった。…

【労働運動】より

…総評傘下の単産のなかには,石油危機後の労働組合のあり方を是とする労働戦線統一運動の姿勢に疑念を表明したり反対を唱える単産もあったが,臨調行革によって国鉄の分割・民営化が進められるなかで,これに抗しようとした国労が組織分裂に追い込まれたこともあって,官公労のなかにも統一に向かう気運が醸成されていった。 これに対し,この労働戦線統一運動は反共主義,労使協調路線に立つ右翼的再編であるとする共産党系の統一労組懇は,〈たたかうナショナルセンター〉を目ざして全労連の結成に向かい,また総評運動の再生を目ざす労研センターは,反連合・非統一労組懇の共闘組織としての全労協の結成へと向かった。
[第5期(1989‐ )]
 1989年11月,1970年代末から進められてきた労戦統一運動はようやく終着点を迎え,民間労組からなる連合と総評系官公労,同盟系全官公傘下の単産との統一体として,74単産800万人を擁する新しいナショナルセンター,連合が結成され,国際自由労連(ICFTU)に一括加盟することとなった。…

【労働組合】より

…これに対しては労働四団体,とくに総評内でいろいろな議論があったが,翌82年12月全民労協(全日本民間労働組合協議会)が発足した。 以上のような労働組合運動の動向に対して,1974年,主として総評内の共産党系の労働組合は統一労組懇(統一戦線促進労働組合懇談会)を発足させ,全民労協結成の動きを右翼的再編成であるとして批判的な運動を展開した。
[新しいナショナル・センター]
 全民労協はその後も民間先行型の労働戦線統一の中心となり,87年全日本民間労働組合連合会,ついで89年日本労働組合総連合会の結成をみた(〈連合〉の項を参照)。…

※「統一労組懇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」