世界大百科事典(旧版)内の統帥派の言及
【海軍省】より
… 伝統的に海軍部内の結束と融和は,海軍大臣の統率力によって保たれ,海軍省の枢要ポストを占めてきた軍政派が海軍の主流派を形成してきたが,1922年のワシントン海軍軍縮条約の締結をめぐって,海軍部内に亀裂が生じ,さらに30年のロンドン海軍軍縮条約締結をめぐり,軍令部は条約締結は統帥権干犯だとして条約締結をやむなしとする海軍全権の財部彪(たからべたけし)海軍大臣に強く反対した(統帥権干犯問題)。以後,海軍部内では,条約派(軍政派)と艦隊派(統帥派)と称される2派の対立が激化し,軍縮条約に敵意をもつ軍令部と中堅将校らのつきあげにより,海軍省首脳の統制力は減退していった。とくに32年と33年の制度改正により,海軍軍令部は軍令部に,海軍軍令部長は軍令部総長と改称され,兵力量の起案権を軍令部総長が握り,平時の海軍大臣の兵力指揮権が削除されるなど,それまでの海軍の伝統を破って,軍政に対する軍令の優位が確立されることになった。…
※「統帥派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」