綾小路派(読み)あやのこうじは

世界大百科事典(旧版)内の綾小路派の言及

【山城物】より

…さらに建長(1249‐56)ころの国綱は北条時頼の招きにより鎌倉で作刀し,相州鍛冶(相州物)の基を築いたと伝え,末期の吉光は短刀の名手として名高い。一方,同じころ四条大路には定利,定吉ら綾小路派がおり,中期から南北朝時代にかけては国行を祖とする来(らい)派が栄えた。来派は一説に先祖が高麗からの帰化人といい,銘に来国俊,来国光,来国次,来倫国,来国長など〈来〉の字を冠するものが多い。…

※「綾小路派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」