世界大百科事典(旧版)内の総連合運動の言及
【アナ・ボル論争】より
…そうしたなかで22年4月の日本労働総同盟(総同盟)の労働組合の総連合の提唱決定から同年9月の総連合結成大会に至るまでアナ・ボル両派が抗争した。総連合組織形態をめぐってアナ派は自由連合,ボル派は中央集権を主張したが,結局大会は官憲によって流会させられ総連合運動は失敗に帰した。以後両派の対立・論争は他の社会運動の分野にもおよび,22年創立された全国水平社の運動では24年から25年にかけアナ・ボル両派の主導権争いが展開され,他の無産者運動と比べおくれて組織化されたプロレタリア婦人運動では28年を境にアナ・ボル両派の路線論争がおこなわれた。…
※「総連合運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」