世界大百科事典(旧版)内の練りようかんの言及
【寒天】より
…それに続けて,スオウで赤く染めたのを色寒天といい,伏見(現,京都市)でつくっていること,それが僧家の料理に重用されていることなどを述べている。寒天の使用によって大きな変化が生まれたのは菓子で,寛政(1789‐1801)ごろ創製された練りようかんは圧倒的な人気を博したものであった。現在では練りようかん類以外にジャムやゼリーなどの製菓用に,また料理では口取りに使う甘味の寄せ物のほか,滝川豆腐のようなものに用いる。…
【羊羹】より
…とにかく,日本のようかんはこうして始まったが,それから400年近くの間は蒸しようかんだけがつくられていた。 練りようかんが出現したのは18世紀末ころになる。江戸では寛政(1789‐1801)の初めに日本橋で喜太郎なる人物がつくり出して評判になり,練りようかんを食べさせるというだけで人を招くほどであったと,山東京山は《蜘蛛の糸巻》(1846)で回想している。…
※「練りようかん」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」