世界大百科事典(旧版)内の美々津県の言及
【日向国】より
…また前年8月以来日田県管轄となった椎葉諸村も人吉藩に復した。さらに71年11月には日向国は美々津,都城の2県に統合され,椎葉諸村は美々津県下に,米良諸村は八代県下に組みこまれたが,しかし翌年9月には米良諸村もふたたび日向児湯郡に編入,美々津県の管治するところとなった。その後73年に都城,美々津両県は廃されて宮崎1県の設置をみ,76年には鹿児島県に併合,さらに83年には宮崎県が復活するなど,複雑な変遷をたどったのである。…
【宮崎[県]】より
…また人吉藩預りの椎葉山(しいばやま)諸村は1868年日田県,71年人吉藩の所管となった。同年の廃藩置県を経て,大淀川を境に日向北部は美々津(みみつ)県に,南部は大隅国6郡とともに都城(みやこのじよう)県に統合・整理された。72年大隅国の一部を都城県から鹿児島県に移管し,肥後国球磨郡米良山が日向国児湯(こゆ)郡に編入され美々津県管轄となった。…
※「美々津県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」