…義教の子,義政の弟。はじめ浄土寺門跡を継ぎ,法名を義尋(ぎじん)と称したが,義政の実子出生が遅れたため1464年(寛正5)還俗して将軍跡目に推された。しかるにこの直後義政に実子義尚が誕生し,将軍家の家督紛争に発展,義政の近臣である政所執事伊勢貞親,相国寺塔頭(たつちゆう)鹿苑院蔭涼軒主季瓊真蘂(きけいしんずい)らは義視の暗殺をはかり,事あらわれて翌年逐電,この一件が応仁・文明の乱の導火線となる。…
※「義尋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の9月中 (9月後半) のことで,太陽の黄経が 210°に達した日 (太陽暦の 10月 23日か 24日) に始り,立冬 (11月7日か8日) の前日までの約 15日...