《習道書》(読み)しゅうどうしょ

世界大百科事典(旧版)内の《習道書》の言及

【狂言】より

…もっともこの段階における狂言は,一応の成立をみたとはいうものの,能のように内容が定着していたとは考えられないので,どのような形で能と提携したのか具体的な事情はよくわからない。ただ世阿弥の《習道書》や《申楽談儀》などから,(1)同一舞台における能と狂言の交互上演。(2)能におけるアイ(間狂言)の存在。…

【笛】より


[能管]
 能管は外観が竜笛に似るが,管内に挿入した細い管(喉(のど))によって音律と音色が変化すること,製作過程で竹を縦割りにしてからまとめる割継ぎ工法があること,ヒシギという最高音を使用することが特徴である。能管の成立期についての確実な記録はないが,世阿弥は《習道書》(1430年(永享2)奥書)で,申楽笛(さるがくぶえ)は雅楽の笛と違い,シテの謡に従って調子を斟酌すべきだと説いている。
[篠笛]
 篠笛は上述の横笛とは異なって構造が単純で,女竹をそのまま用い,樺巻きは管の両端のみであり,管内の漆塗りも薄い。…

【世阿弥】より

…29年(永享1)の仙洞御所での能の阻止,翌年の醍醐寺清滝宮の楽頭職剝奪などがそれで,世阿弥が一時は元重を養子にしたらしいのに,元雅に観世大夫を譲ったことが義教の反感の一因になったのかもしれない。義教の弾圧下にも,女婿金春禅竹(こんぱるぜんちく)のため《拾玉得花(しゆうぎよくとつか)》を著述し,《習道書(しゆどうしよ)》を書いて一座の結束をはかるなど,世阿弥の意欲は衰えなかったが,1430年には元能が父の芸談を《申楽談儀(さるがくだんぎ)》にまとめて遁世し,32年8月には元雅が伊勢で客死し,観世座の本流は断絶してしまった。老後に後嗣を失った嘆きは《夢跡一紙(むせきいつし)》に痛ましく,翌年成立の《却来華(きやくらいか)》は相伝者のいないまま後代への形見として書かれている。…

【程】より

…古くは拍子関係の用語として用いられた。雅楽では拍子別に竜笛(りゆうてき)の奏法を説明した《十操記》(919年成立と伝えられる)に,〈拍〉や〈間〉とともに〈程〉が見えるほか,能でも世阿弥が座衆の心得を説いた《習道書(しゆどうしよ)》(1430)に〈程拍子〉(間拍子の意)として出てくる。また歌舞伎でも,舞踊中心の理論書である《舞曲扇林(ぶきよくせんりん)》に〈程拍子〉の語を見いだせる。…

※「《習道書》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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