世界大百科事典(旧版)内の聖ルカ組合の言及
【画家組合】より
…また,フィレンツェでは画家は14世紀前半に医師および薬剤師の組合に加入を認められたが,これは顔料と薬剤の関連によるものと考えられる。画家が医師と同じくルカを守護聖人としていることも画家がこの組合に編入された理由であり,やがて各地で独立の組合をもつようになっても画家組合は聖ルカ組合を名のることが多かった。特に15,16世紀のネーデルラントでは,画家組合の礼拝堂の祭壇画として〈聖母を描くルカ〉の主題が愛好されている。…
【画商】より
… ルネサンス期には,人文主義の影響で教皇,君主,富豪らが古代美術を収集したため,イタリアにはロッシ,パラ,ストラーダ,ストッピらの画商が出現する。聖ルカ組合(画家組合)が毎週金曜日に開く野外展兼市場では,ラファエロをはじめ当時の巨匠たちの作品が,古代美術と同等の値段をよんだらしい。17世紀には,ルイ14世治下のパリに画商が簇生(そうせい)し,美術収集は富裕な市民にも浸透し,イタリアやオランダではイギリスやフランスの旅行者が美術品を買いあさった。…
【ルカ】より
…医師,画家などの守護聖人。中世からルネサンス期に各都市に作られた画家組合は,しばしば聖ルカ組合と名のった。また,ドイツ・ロマン主義の画家オーバーベックらは1809年〈聖ルカ兄弟団〉を結成している。…
※「聖ルカ組合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」