世界大百科事典(旧版)内の《聚楽第図屛風》の言及
【洛中洛外図】より
…未発見)であったと考えられる。秀吉の建築的モニュメントを描いた《聚楽第図屛風》(三井家)がその影響下に成立したことは明らかである。慶長期(1596‐1615)になると,徳川氏の威光を代弁するものとして二条城が登場するが,岡山美術館本,勝興寺本などでは,左隻の二条城に対して,右隻には豊臣の余光を示すかのように方広寺大仏殿の威容を配する。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」