世界大百科事典(旧版)内の肱北の言及
【大洲[市]】より
…1617年(元和3)以来の加藤氏6万石の城下町で,大洲城は肱川南岸の要害の地にあり,城下町はその西・南部に展開していた。大正年間以降の市街地は肱川の北岸肱北(こうほく)地区に展開したが,これは1913年肱川架橋が完成したことや,18年大洲~長浜間に開通した愛媛鉄道の駅が肱北の若宮地区に設置されたことによる。市域の大部分は田園地帯であり,野菜栽培,養蚕業,シイタケ栽培,養豚業などが盛んである。…
※「肱北」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」