世界大百科事典(旧版)内の背後からの一撃の言及
【ヒンデンブルク】より
…敗戦後のドイツ革命期もその地位にあって帝制将校団の維持に成功,19年引退。ワイマール共和国下においても人気は高く,回想録や国会敗戦原因調査委員会での大戦中の銃後批判の発言は,敗戦を左派の裏切りに帰する〈背後からの一撃〉説(首(あいくち)伝説)の流布に力をかすことになった。25年,社会民主党のエーベルトの死後,保守派に推され共和国第2代大統領になった。…
【ルーデンドルフ】より
…18年9月,敗北を認め,政府に休戦・講和を要求,10月退任。ワイマール共和国前半期,敗戦は国内の裏切りが原因とする〈背後からの一撃〉説を早くから唱え,反共和国的国粋運動の有力者となり,カップ一揆,ヒトラーのミュンヘン一揆にも関与した。【木村 靖二】。…
※「背後からの一撃」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」