朝日日本歴史人物事典 「脇愚山」の解説
脇愚山
生年:宝暦14.5.12(1764.6.11)
江戸中・後期の儒学者。名は長之,字は子善,通称儀一郎。愚山は号,また蘭室とも。豊後(大分県)豊岡の人。若くして『四書集註』『唐詩選聞書』を読み,21歳熊本の藪孤山に入門,詩を伊形霊雨に学んだ。三浦梅園にも教えを請い,のち上坂して中井竹山に師事,程朱学の基礎を固めた。熊本藩藩校時習館訓導また鶴崎定詰熊本藩士子弟教導方となった。帆足万里は門人。漢詩文,和歌,和文にも優れた。<著作>『淳風会講旨』『歳蘭漫語』『大学質問』『蘭室集略』『籬草』『見し世の人の記』,久多羅木儀一郎編『脇蘭室全集』<参考文献>西村天囚『学界の偉人』
(水田紀久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報