世界大百科事典(旧版)内の臨時産業合理局の言及
【産業合理化運動】より
…しかし,国民運動としての合理化は,かなりおくれて30年に導入された。この年6月,商工省に臨時産業合理局が設けられ,日本商工会議所,日本工業協会などと呼応して運動が推進されたが,同時に実施された金解禁とともに,1929年秋以降の世界恐慌の渦中に巻きこまれたため,きわめて時宜を逸したものとなった。能率増進やコスト切下げも国際競争との関連で課題となったが,それらも労働強化や失業の増大などと短絡しがちであり,運動の重点はもっぱら企業の統制に照準が合わされた。…
【商工省】より
…しかし昭和初年からの経済恐慌処理と,産業合理化政策の実施,満州事変を契機とする経済の統制化にともない,しだいに業務と機構は拡大した。30年臨時産業合理局が外局として設けられ産業合理化行政を専管し,また同年には通商戦の激化にそなえて貿易課を貿易局に昇格させた。日中戦争開始前後から商工行政は戦争経済のための動員と統制がもっぱらとなり,37年5月臨時産業合理局に替わって統制局が,6月には燃料局,翌年5月には臨時物資調整局が設置された。…
※「臨時産業合理局」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」