世界大百科事典(旧版)内の《自由の法》の言及
【ウィンスタンリー】より
…この理想を実現するために,1649年4月,貧農を率いてディガーズの運動を開始し,土地の共有と賃労働関係の廃止を宣言した。地主の妨害を受け,軍隊の弾圧で1年ほどで挫折したのち,社会主義ユートピアを構想して《自由の法》(1652)を出版した。それは近代的合理的な社会主義の先駆とみなされているが,失われた古代の自由にあこがれる側面もあり,彼の思想には神秘主義的傾向が合理主義的なものと融合・混在している。…
【ユートピア】より
…J.V.アンドレーエ《クリスティアノポリス(キリスト教都市)》(1619),S.ゴット《新エルサレム》(1648)が代表例。最も秘教的・セクト的傾向が明らかなのは,ピューリタン革命期のディガーズの指導者G.ウィンスタンリーによる《自由の法》(1652)であり,強い求道的イメージで貫かれている。実際,16世紀の宗教改革以降,ことに改革派のなかには,強度な抑圧に抗して宗派共同体を建設し,ここに純粋な理想社会を実現しようとするユートピア運動が頻発した。…
※「《自由の法》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」