世界大百科事典(旧版)内の自由主義連合の言及
【スペイン】より
…これに呼応して都市民衆も蜂起し,その結果54年には進歩派が政権に返り咲いたが,これも2年間の短命に終わった。難局の舵を次に握ったのは,穏健派左派と進歩派右派が新たに結成した自由主義連合であり,指導者となったオドンネル将軍は,国内のナショナリズムを高揚すべく,モロッコ戦争(1860)をはじめ,フランスとの共同行動によるインドシナ遠征(1860),サント・ドミンゴの併合(1861‐67),メキシコ遠征(1862)などの軍事進出政策を敢行した。しかしながら国内政治に目を転じれば,厳しい制限選挙と寡頭支配者(カシケ)による選挙操作によって,自由主義体制は虚構のものでしかなかった。…
※「自由主義連合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」