世界大百科事典(旧版)内の自由経済協会の言及
【エカチェリナ[2世]】より
…しかし農民,とくに貴族領農民(農奴)の地位は改善されずにむしろ劣悪化し,女帝自身寵臣への土地賜与で農奴を急増させた。女帝は農業を重視して自由経済協会をつくり(1765),土地測量を行い,商工業については営業の自由を原則とした。外政ではポーランド分割と2度の露土戦争で西方と南方に大きく領土を広げたが,ウクライナと黒海北岸はルミャンツェフP.A.Rumyantsev総督とポチョムキンによってロシア化と開発・植民が進められ,黒海はウシャコフF.F.Ushakov提督などの働きでロシアの内海化した。…
※「自由経済協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」