世界大百科事典(旧版)内の船町湊の言及
【大垣[市]】より
…近世の大垣町は,外壕内を中心とする侍屋敷と町方からなり,町方は17世紀初めまでにできたとされる〈古来町〉と,その後に形成された〈出来町〉に大別される。美濃路の宿駅としての大垣町は,街道が町を北東に抜けて,それに沿う町々を往還町と称し,また南北に通じる水上交通が発達しており,水門川岸の船町湊は桑名や伊勢方面などとの舟運でにぎわったという。町の規模は,1641年には町屋602軒,1843年(天保14)には町屋1383軒,人数5097人とあり,宿機能としては本陣,脇本陣,問屋場がそれぞれ1,旅籠屋14軒などと記録されている。…
※「船町湊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」