世界大百科事典(旧版)内の花蕊夫人の言及
【宮詞】より
…8~9世紀,中唐の王建が宮詞100首を作って評判となり,以後ひとつの伝統となった。五代のとき蜀の王妃花蕊(かずい)夫人が,ついで北宋の王珪がやはり宮詞100首を作り,明末に王建と合わせ《三家宮詞》として刊行された(毛晋,汲古閣)。清朝になるとさらにこれを増補した《十家宮詞》(倪燦(げいさん)輯)がある。…
※「花蕊夫人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…8~9世紀,中唐の王建が宮詞100首を作って評判となり,以後ひとつの伝統となった。五代のとき蜀の王妃花蕊(かずい)夫人が,ついで北宋の王珪がやはり宮詞100首を作り,明末に王建と合わせ《三家宮詞》として刊行された(毛晋,汲古閣)。清朝になるとさらにこれを増補した《十家宮詞》(倪燦(げいさん)輯)がある。…
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