世界大百科事典(旧版)内の茶香十炷の寄合の言及
【香道】より
…武士の精神生活・美意識に対する禅の影響が認められる。闘茶は12世紀末に始まるが,14世紀中葉には《建武記》の中の〈二条河原落書(首)〉にみられるように〈茶香十炷(さこうじつちゆう)の寄合〉(それぞれ10種の茶香を判別する闘茶と聞香の競技)が流行し,《太平記》に記された佐々木道誉(高氏)のような豪奢を誇示する焚香(ふんこう)にとどまらず,寄合芸能としての香筵(こうえん)(香席)の成立をみるのである。この風潮は堂上も例外ではなく,15世紀に入ると御所,御内儀などで名香合,薫物合,十炷香,十種香がしばしば催され,それも,ほとんど懸物(賭事)をともない,ときには〈終夜催〉〈呑酒夜更〉〈大酒終夜〉などと《実隆公記》などに記されているごとく,夜を徹して行うありさまであった。…
【香木】より
…艶麗な薫物から香木の幽玄に転換したのは香が武家のものとなった結果である。将軍家をはじめ愛好者が増大し,《建武記》の《二条河原落書(首)》に記載がみられる〈茶香十炷(さこうじつちゆう)の寄合〉(10種の茶香を判別する闘茶と聞香の競技)が盛行するほど,大量の沈香が舶来された。香木の微味幽趣を探るため14世紀の末には(銀)葉(ぎんよう)という隔火の具も考案されている。…
※「茶香十炷の寄合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」