世界大百科事典(旧版)内の荀勖の言及
【汲冢書】より
…中国,西晋時代,汲郡(河南省)の人,不準が戦国時代の魏王の墓を盗掘して得た古書。竹簡に記されていたものを,荀勖(じゆんきよく)(?‐289)らの学者が当時の字体に改め,整理を加えた。元来は大量の竹簡があったとされるが,現在に伝わるのは《穆天子伝》《(古本)竹書紀年》(これもいったんは滅びて復元された)などごくわずか。…
【中国音楽】より
…〈音楽〉の2字は前3世紀の《呂氏春秋(りよししゆんじゆう)》に初見する。それまでは舞もふくんで,〈楽〉とか,とくに民間音楽を〈声〉とか呼んでいた。中国においても他の原始社会と同様に,自然災害や戦勝に音楽の力が作用するとか,鳥の鳴き声で音階を定めたというような呪術性,また不合理性が存在したが,中国ではつとにその段階から脱却して,音を数理的に考え,音楽の感化作用を重視した。十二律と音階観念を早期に確立し,《管子》の楽律算定法,《呂氏春秋》の三分損益,荀勗(じゆんきよく)(3世紀)の笛の口径や長さと音律の関係を調べての管口補正試案,蔡元定(12世紀)の転調のための十八律案,朱載堉(しゆさいいく)(16世紀)の十二平均律理論に至る楽理の探究から,理知的な営みの流れが見える。…
【穆天子伝】より
…中国,西周の穆王の事跡を日月を追って記録したもので,汲冢(きゆうちよう)書の一つ。晋の荀勗(じゆんきよく)らが整理を加え,郭璞(かくはく)が注を付けた。6巻。その中心は穆王の西域への旅行の記述で,八駿(はちしゆん)に車を引かせ,多くの従者をつれて,遠い西方の国々を経めぐる。特に瑶池(ようち)において西王母(せいおうぼ)と宴する場面は印象的で,後世の詩文の中でもしばしば言及される。巻末には寵姫の盛姫の盛大な葬儀の記録がある。…
※「荀勖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」