世界大百科事典(旧版)内の荘園記録所の言及
【記録所】より
…経長,隆俊,匡房は後三条天皇の腹心で,記録所が天皇の主導のもとに運用されたことを人的構成の面から裏付けており,のちに記録所が天皇親政の象徴的機関となる萌芽をみることができる。
[天永・保元の記録所]
延久の記録所は,後三条天皇の譲位後停廃したが,1111年(天永2)白河上皇の命により,延久の例を追って太政官朝所(あいたんどころ)に〈荘園記録所〉が設置された。その目的は,国司と荘園領主との相論を検知するもので,上訴がなければ取り扱わないとされたが,実例に徴すると,領主間の相論も取り扱われている。…
※「荘園記録所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」