世界大百科事典(旧版)内の《菊寿草》の言及
【大田南畝】より
…また1775年(安永4)に《甲駅新話》を書いてからは洒落本作者として活躍し,《変通軽井茶話(へんつうかるいざわ)》ほか数編の佳作をのこすという幅ひろい文学活動によって,安永末年(1780)には文芸界の中心的な存在になっていた。そして81年(天明1)《菊寿草》,翌年《岡目八目》で新興の黄表紙の作品批評を試み,さらに《此奴和日本(こいつはにつぽん)》など実作も数種を数えるが,この面では成功を収めなかった。一方狂歌は,83年赤良編《万載狂歌集》と橘洲編《狂歌若葉集》が競争的に出版されたのが刺激となって熱狂的な流行が始まった。…
※「《菊寿草》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」