朝日日本歴史人物事典 「葛城磐之媛」の解説
葛城磐之媛
仁徳天皇の后,履中,反正,允恭3天皇の生母。5世紀に天皇家に比肩する勢力を誇った,大和葛城地方の有力氏,葛城氏の出。父の葛城襲津彦は初期の対朝鮮外交に活躍した人物として著名。イワノヒメは,夫仁徳が他の女を宮中に入れると地団太をふんでねたんだといわれ,気性の激しさと嫉妬深さで名高い。あるとき収穫祭ニイナメの準備のため,祭具の柏の葉をとりに紀国(和歌山県)に行っていたが,夫の浮気を伝え聞くや船いっぱいに積んだ柏を怒りにまかせて全部海の中にぶちまけたという。これらの話はあきらめや忍従とは無縁だった大王家の妻の姿を見事に形象化している。またあるとき,自らが主催する宴の席で,死人の手からこっそり腕輪を剥ぎとって妻に与えていた男を発見し,その冒涜的行為に怒りただちに死刑に処したという(『古事記』)。この挿話は,イワノヒメの怒りがもっぱら人間の尊厳を冒すものに向けられていたことを示している。『万葉集』巻2冒頭にイワノヒメ作とされる相聞歌4首が載っている。
(溝口睦子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報