世界大百科事典(旧版)内の蓮花乗院の言及
【金剛峯寺】より
…覚鑁は1134年(長承3)東寺長者の金剛峯寺兼務を排して,みずから本寺(金剛峯寺),末院(大伝法院)の座主に就任し,金剛峯寺検校良禅を追放し,弟の信恵を補任したため,東寺と金剛峯寺衆徒の反感をかい,40年(保延6)根来(ねごろ)寺に移った。75年(安元1)に建立された蓮花乗院が77年(治承1)壇上に移され,伝法大会が継続されることになった。 教団は,学侶(がくりよ),行人(ぎようにん),聖(ひじり)によって構成されていた。…
【南部荘】より
…紀伊国日高郡(現,和歌山県日高郡南部町,南部川村)の荘園。荘名の初見は《中右記》天仁2年(1109)10月21日条で,〈南陪荘〉と記す。成立事情はつまびらかでないが,後三条天皇の皇孫伏見宮守子内親王から鳥羽院皇女五辻宮(いつつじのみや)頌子内親王に伝領された。1175年(安元1)頌子内親王が鳥羽院の菩提を弔うために高野山に蓮華乗院を建立し,荘内の山内村水田10町を寄進し,領家職(りようけしき)の一部が高野山に移った。…
※「蓮花乗院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」