蔡莆陽(読み)さいふよう

世界大百科事典(旧版)内の蔡莆陽の言及

【蔡襄】より

…興化軍の治所が莆田であるので莆田の人ともいう。端明殿学士となったので蔡端明,忠蕙と諡(おくりな)せられたので蔡忠蕙,莆田の雅称をもって蔡莆陽ともいわれる。仁宗の天聖8年(1030)進士に合格,累進して翰林学士,さらに三司使になり,一時宋の財政を総括したが,英宗に誤解をうけ,知杭州軍事に転出,のち没した。…

※「蔡莆陽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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