藤上検校(読み)ふじえけんぎょう

世界大百科事典(旧版)内の藤上検校の言及

【藤植検校】より

…18世紀半ばに活躍した盲人音楽家。〈藤上〉とも書く。都名(いちな)は喜古一。1736年(元文1)岡永検校わさ一のもとで,検校に登官。胡弓の弦数を3弦から4弦に改め(第3,第4弦同調律の複弦),以後この四弦胡弓による胡弓音楽が,江戸で藤植流として普及した。《栄(さかえ)獅子》《越天楽》《鶴の巣籠》などの本曲12曲のほか,《岡康(安)砧》《松竹梅》も本曲に加えられる。山田流箏曲と結びついて,その三曲合奏の胡弓のパートを外曲として伝承。…

※「藤上検校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」