朝日日本歴史人物事典 「藤原光益」の解説
藤原光益
生年:貞和4/正平3?(1348)
南北朝末期から室町前期にかけての宮廷絵所絵師。六角寂済とも。従五位下。大蔵少輔。京都高倉通り六角に居したため六角絵所を称した。永徳3/弘和3(1383)年から記録に名がみえる。宮廷関係の画事の記録に後亀山天皇大嘗会の「標山屏風」(1383),「賢聖障子」(1402)があり,他に「北野天神縁起絵巻」(1383),「目蓮尊者絵巻」(1388)がある。室町幕府とも密接で将軍義満の命で「八講屏風」(1405)を制作し,また義満の猶子で醍醐寺の僧満済に重用され,「醍醐寺閻魔堂後壁画」(1386)や義満7回忌本尊の「虚空蔵菩薩」(1414)などを描いている。現存作は清凉寺「融通念仏縁起絵巻」(1417頃)の一部で,このころには宮廷絵所預 を隠退し,寂済を号して長老的立場にあった。作風は平明で柔和な趣があり,色調は明るく,人物表現は平俗で,のちの室町時代のやまと絵様式の特徴がみられる。六角派は光益膝下から藤原光国,後裔に六角益継がでた。<参考文献>宮島新一「十四世紀における絵所預の系譜」(『美術史』88号)
(相澤正彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報