藤原光雅(読み)ふじわらのみつまさ

朝日日本歴史人物事典 「藤原光雅」の解説

藤原光雅

没年:正治2.3.9(1200.4.23)
生年:久安5(1149)
平安末・鎌倉初期の公卿。院近臣葉室光頼と藤原親隆の娘の子。蔵人頭,弁官,院司,摂関家家司を務める。平清盛の命で近衛基通に仕え,文治1(1185)年には源頼朝追討宣旨を奉じたため解官されるが,その後九条兼実信頼を得て検非違使別当を務め,権中納言に至る。

(奥田環)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

関連語 葉室光雅

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む