藤原基通(読み)ふじわらのもとみち

改訂新版 世界大百科事典 「藤原基通」の意味・わかりやすい解説

藤原基通 (ふじわらのもとみち)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原基通」の意味・わかりやすい解説

藤原基通
ふじわらのもとみち

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世界大百科事典(旧版)内の藤原基通の言及

【近衛基通】より

…平安末・鎌倉初期の摂関。藤原基実の長男。普賢寺殿と号した。1179年(治承3)平清盛や後白河院の支持により関白となり,木曾義仲により一時替えられたが,後に摂政に復す。しかし源頼朝は九条兼実を内覧に吹挙して基通を引退させた。その後兼実の失脚により再び関白となった。近衛家の事実上の祖。時々の権力者の庇護下に摂関家領を九条家と二分して伝領した。【佐藤 圭】…

※「藤原基通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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