近衛基通(読み)このえもとみち

百科事典マイペディア 「近衛基通」の意味・わかりやすい解説

近衛基通【このえもとみち】

平安末〜鎌倉初期の公卿(くぎょう)。普賢寺殿(ふげんじどの)と号した。父は基実(もとざね)。1179年,平清盛後援により関白となる。後白河法皇も基通を庇護し,1186年に九条兼実(かねざね)が基通に代わって摂政となったとき,法皇摂関家所領を基通の手にとどめた。1196年九条兼実が失脚すると,再び関白となった。1202年に辞任,1208年に出家した。法名は行理(こうり)。
→関連項目垂水東牧・垂水西牧

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「近衛基通」の意味・わかりやすい解説

近衛基通
このえもとみち
(1160―1233)

平安末期~鎌倉初期の公卿(くぎょう)。普賢寺(ふげんじ)殿。摂政(せっしょう)太政(だいじょう)大臣藤原基実(もとざね)の長子、母は従三位(じゅさんみ)藤原忠隆(ただたか)の女(むすめ)。父の死後、継母平盛子(もりこ)の父清盛(きよもり)の後援を得て家督を継承、1179年(治承3)11月には、関白基実にかわって内大臣となり、ついで関白となった。83年(寿永2)の平氏都落ちにあたっては、後白河(ごしらかわ)法皇に危急を告げ延暦(えんりゃく)寺に避難させるなどの働きを示した。このため、以後、後白河の知遇を得、源頼朝(よりとも)の台頭以後も、亡命中の源義経(よしつね)をかくまうなど、鎌倉幕府に反抗的態度を示した人物として名高い。96年(建久7)には九条兼実(かねざね)にかわって関白に還任、翌々年摂政、1202年(建仁2)まで在職。天福(てんぷく)元年5月29日没。

[鈴木国弘]

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改訂新版 世界大百科事典 「近衛基通」の意味・わかりやすい解説

近衛基通 (このえもとみち)
生没年:1160-1233(永暦1-天福1)

平安末・鎌倉初期の摂関。藤原基実の長男。普賢寺殿と号した。1179年(治承3)平清盛や後白河院の支持により関白となり,木曾義仲により一時替えられたが,後に摂政に復す。しかし源頼朝は九条兼実を内覧に吹挙して基通を引退させた。その後兼実の失脚により再び関白となった。近衛家の事実上の祖。時々の権力者の庇護下に摂関家領を九条家と二分して伝領した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近衛基通」の意味・わかりやすい解説

近衛基通
このえもとみち

[生]永暦1(1160)
[没]天福1(1233).5.29. 京都
鎌倉時代初期の公卿。基実の子。母は藤原忠隆の娘。嘉応2 (1170) 年正五位下,承安2 (72) 年従四位下右中将,同4年従三位,治承3 (79) 年正二位内大臣に任じられ関白となる。同4年安徳天皇の即位により摂政となる。寿永2 (83) 年,源義仲が入京して後白河法皇近臣の官を解いたとき一時摂政をやめたが,翌年再び摂政となる。文治1 (85) 年,壇ノ浦に平家が滅亡し源頼朝が実権を握ると,法皇の信任が厚かった基通の地位は,九条兼実にとって代られた。しかし建久7 (96) 年,兼実が失脚するとまた関白となった。承元2 (1208) 年出家。法名は行理。普賢寺殿という。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近衛基通」の解説

近衛基通 このえ-もとみち

1160-1233 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
永暦(えいりゃく)元年生まれ。近衛基実(もとざね)の長男。母は藤原忠隆の娘。後白河法皇と継母平盛子(もりこ)の父平清盛の後ろ盾で,関白,摂政,氏長者となる。平家没落後,九条兼実(かねざね)をおす源頼朝によって引退させられたが,兼実の失脚後関白に復帰。基通の代から家名を藤原から近衛とした。従一位。天福元年5月29日死去。74歳。号は普賢寺。

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世界大百科事典(旧版)内の近衛基通の言及

【近衛家】より

藤原氏北家の嫡流,五摂家の一つ。家号は始祖基実の殿第に由来するが,また近衛大路に面する宮門号にちなんで陽明ともいう。平安時代初期,藤原良房が人臣で初めて摂政となって以来,摂政・関白は藤原氏北家の嫡流に伝えられ,ついでその曾孫師輔の九条流に,さらに師輔の孫道長の御堂流に定着し,藤原氏長者も摂関の兼摂するところとなった。こうして平安時代末期の1158年(保元3)には,道長の6世の孫基実が父忠通の譲りにより16歳の若さで関白,氏長者となり,ついで摂政に任ぜられたが,基実が24歳で急死したため,弟の基房が摂政となり,さらに関白に任ぜられた。…

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